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仙台地方裁判所 昭和27年(ワ)151号 判決

原告 梅原もと

被告 梅原喬

主文

被告は原告に対し、(一)別紙図面〈省略〉表示の建物を明け渡し、且つ(二)金二十五万八千三百六十円及び昭和二十九年一月一日から右明渡に至るまで月金三万六千円の割合による金員を支払わなければならない。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は原告勝訴の部分に限り仮りに執行することができる。

事実

第一原告の言分

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し(一)別紙図面表示の建物を明け渡し、且つ金四十八万円及び昭和二十九年一月一日から右明渡に至るまで月金三万六千円の割合による金員を支払わなければならない。訴訟費用は被告の負担とする」との判決竝びに仮執行の宣言を求める旨申し立て、その請求の原因として、

一、無名貸借の由来

原告家は世々別紙図面表示の建物を所有、これを住宅兼店舗として旗亭「梅林」(初代梅原林蔵が藩主伊達氏からこの商号を允許された)を経営し、原告は明治二十一年八月九日三代梅原林蔵の養女として入籍、明治三十五年四月二十一日林蔵の死亡によりその跡目相続をするとともに本件家屋の所有権及び営業権を承継取得し、明治三十七年二月二十九日梅原吉之助を壻養子に迎え、同人に家督を譲るとともに右営業権の二分の一及び家屋の所有権を移転し同人と共同して依然同一営業を継続していたが、原告夫婦はこの営業が子女の教育上香しくないと考え、明治四十年九月十一日縁故者梅原甚七に本件営業権及び家宅を「原告家の請求次第何時でも返還明け渡すこと、冥加金(賃料ではない)月金二十円(但し経済情勢に応じ増減)毎月末日払」と定めて使用貸引き渡し、自らはその近隣所在吉之助所有同市榴岡二十二番、二十三番の一、連続宅地九十二坪一合二勺に存在する木造瓦葺二階建居宅一棟、建坪二十七坪三合七勺外二階十一坪七合五勺、附属建物木造瓦葺平屋建倉庫一棟、建坪三坪に転居して折角、子女の教養に没頭して来た。そして昭和六年十月三日甚七が死亡し、被告(大正十四年二月六日甚七の長女はつと壻養子縁組)がその家督を相続し、甚七の地位を承継右営業に従事するに至つた。しかし、昭和十年九月五日原告の夫吉之助が他界し、その三男梅原三郎がその家督を相続し、吉之助の地位を継ぐや、被告は漸くその態度を豹変、原告家を軽侮し、営業の乗つ取りを策謀し、昭和十八年時局の影響を受け、企業整備問題が擡頭するや、三郎及び原告に無断、旗亭「梅林」を廃し、多額の転業資金を着服壟断しようと企で、剰つさえ三郎所有の本件家屋の一部を三郎及び原告に無断修理して旅館に転業する等主家を無視する数々の振舞があつた。

二、裁判上の和解

そこで原告及び三郎は親族達の慫慂もあり、昭和十九年一月十五日被告に対し本件無名貸借を解約する旨の意思を表示するとともに、右家屋の明渡を求めたが、被告はこれに応ぜず、ために三郎及び原告は共同して被告を対手として仙台地方裁判所に本件家屋明渡等の請求訴訟を提起し、同事件は同庁同年(ワ)第一五号として同裁判所に繋属中、同年十月二十一日当事者間に「原告及び三郎は被告に対し本件家屋を賃料月金百三十円(但し経済状勢に応じ自ら増減)、期間同日から昭和二十八年十二月三十一日までと定めて貸し渡す旨」の裁判上の和解が成立し(本件建物の表示は右和解又は公簿上のそれと若干異つているが現実は三者は全然同一である)爾来被告は右家屋を占有して旅館業を営んで来た。ところで、三郎は昭和二十六年一月二日死亡し、その実母たる原告は民法第八百八十九条によりその遺産を相続するとともに本件家屋の所有権及び和解上の地位を承継取得した。

三、明渡期日の到来

ところで叙上和解は本件家屋賃貸借の合意解約の効力の発生を昭和二十八年十二月三十一日という期限の到来に繋らせたものであるから右貸借に対しては、更新及びその予告に関する借家法第一条の二、第二条の規定の適用がない。(最高裁(オ)昭和二七年一二月二五日判決民集六巻一二号一二七一頁(ロ)昭和二八年五月七日判決民集七巻五号五一〇頁)従つて右期限の経過とともに右賃貸借は当然将来に向つて消滅に帰し、被告は即時原告に対し右家屋を明け渡すべき義務を負担するに至つた。

四、正当の事由

仮りに右和解契約が貸借期間を定めた一般賃貸借に過ぎず従つてこれに対し叙上の規定の適用があつたものとしても、原告が次のようにその更新を拒絶する正当の事由を保有する。

(一)原告側の事情

本件和解が叙上のような経緯により成立するに至つたばかりでなく原告(明治十四年十一月二十三日生)は齢既に古稀を遥かに越え、固より生活能力を有せず、唯一人の同居の扶養者四男梅原修治(大正十一年九月十八日生)も亦多年持病の肺結核に悩まされ、一家の収入は絶えてない。そこで原告は昭和二十七年三月三十一日、国に前掲原告所有の二十二番二十三番の一、連続地の宅地及びこれに存在する家屋を代金百万円で売却明け渡し、その代金を負債の一部弁済に充当したが、現在なお金百万円以上の一般借財の支払を滞つている他、なお、相続税、固定資産税、再評価税等の公租公課数十万円をも滞納し、更に、目下住むに家なく已むを得ず他人から同市原町小田原新堤下十三番地に存在するささやかな建物を借り受け修治及びその妻とともに佗住居をしつつあり、生計には勿論修治の薬餌代にすら事缺いている。従つて原告は即時被告から本件家宅の返還を受けて旅館業を営み幾何もない余生を一子修治の生活の基礎築造に捧げたいという念願真に切なるものがある。

(二)被告側の事情

(イ)被告は昭和二十七年八月一日から同年十二月三十一日まで月金二万四千円、昭和二十八年一月一日から同年十二月三十一日まで月金三万円の各割合による本件相当賃料の支払を怠つているばかりでなく

(ロ)既に昭和二十六年六月頃から本件建物附近の榴岡二十一番に豪奢なダンスホール用木造瓦葺平家一棟、建坪百三十二坪五合、附属建物木造木羽葺平家建便所一棟、建坪一坪五合、木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建ボイラー室一棟建坪一坪九合二勺を新築所有し、同族会社(株式会社「クラブナシヨナル」被告はその代表者取締役)を設立し多数のダンサーを雇い入れ、右家宅で駐留軍相手のキヤバレーを経営し頃日仙台市駐留軍が増員されたため、日日莫大な収益を挙げつつあり、原告に本件家屋を明け渡しても住居の安定ないし生活を脅やかされる心配が全然存しない。

(三)明渡義務

そこで原告は借家法第一条の二、第二条に則り遅くとも昭和二十八年六月二十二日被告に対し本件賃貸借更新拒絶の意思表示をし、よつて以て右契約は同年十二月三十一日限り期間の満了により当然将来に向つて消滅に帰し、被告は即時原告に対し本件家屋を明け渡す義務を負担するに至つた。

五、延滞賃料及び債務不履行に基く損害

然るに、被告は原告に対し

(1)弁済期を過ぎても(イ)昭和二十七年八月一日から同年十二月三十一日までの月金二万四千円、(ロ)昭和二十八年一月一日から同年十二月三十一日までの月金三万円の各割合による相当賃料の支払を怠り、

(2)又明渡期限を経過しても本件家屋を明け渡さず、昭和二十九年一月一日以降右明渡義務の履行遅滞により月金三万六千円の割合による損害(即ち被告のこの履行遅滞がなかつたならば、原告は本件家屋を自家使用、賃貸その他の方法により、少くとも月金三万六千円の割合による純利益を得ることができ、又できる筈であるにかかわらず、この不履行によりこの途を断たれ、又断たれるであろう消極的損害)を加えつつある。

六、請求

よつてここに被告に対し本件家屋の明渡及び右延滞賃料合計金四十八万円及び昭和二十九年一月一日から本件家屋の明渡に至るまで月金三万六千円の割合による損害金の支払を求めるため本訴に及ぶと陳述し

七、再抗弁

被告の抗弁に対し、(イ)原告の同居の四男梅原修治が被告主張の会社の取締役兼仙台市役所吏員であることはこれを認めるけれども、右会社は修治の妻女の父山崎亀三郎を中心とする同族会社で修治は名は重役であるが実は全然その地位になく、且つ同会社は目下破産に瀕しつつあり、役職員等に給料を支払う余力は全然存しない。又修治は肺結核既に膏盲に入り、昭和二十六年六月から今日まで同市役所の療養命令により折角自宅で静養しつつあり、従つて収入などがあるわけがない。

その他の被告主張の事実は全部これを争う。仮りに被告がその主張のように修繕費等を支出したとしても、本件裁判上の和解によれば金五百円以上の資金を要する本件家屋の修繕は、被告は原告の承諾を得なければ、これをすることができないにかかわらず、被告は原告に全然無断、これをしたものであるから原告は右修繕費負担の責に任じない。仮りに、被告が右承諾を得て右修繕をしたとしても、右和解によれば原告は右修繕費の半額を支弁負担する義務を負うに過ぎないからここに被告主張の総修繕費金百十九万九百八十円の半額金五十九万五千四百九十円の償還債務(この債務には期限の定がない。)と本件延滞賃料金四十八万円及び昭和二十九年一月一日から四月七日までの月金三万六千円の割合による損害金金十一万五千四百九十円、計金五十九万五千四百九十円の債権とを順次対当額において相殺すると答えた。〈立証省略〉

第二、被告の反駁

被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として

一、事実の認否

原被告の身分相続関係及び本件家屋の所有権、占有権の変動が原告主張のとおりであること、その主張のように訴が提起され、裁判上の和解が成立し、爾来今日まで被告が本件家屋を占有旅館「梅林」を経営して来たこと、被告が原告主張の家屋を新築所有し、被告を代表者取締役とする株式会社クラブナシヨナルが右家屋を使用して、キヤバレーを経営していること、被告が昭和二十七年八月一日以降の本件賃料を支払わないこと、原告主張の更新拒絶の意思表示が為されたことはいずれもこれを認めるけれども、その余の事実は全部これを否認する。

二、賃貸借の由来

そもそも明治三十五年四月二十一日原告主張の料亭「梅林」三代梅原林蔵が死亡し、原告がその家督を相続した当時、原告家は金五千円以上の借財のため、衰運の一途を辿りつつあり事実上営業を廃止していたが、明治四十年九月十一日「梅林」二代梅原林蔵の養女梅原たけよの夫梅原甚七が初代梅原林蔵の長男梅原万蔵の長女梅原とくを後妻に迎えると同時に原告及びその夫梅原吉之助から本件家宅を賃料取引上相当金額毎月末日払の約で、借り受け引渡を受け、既に廃業同様の状態にあつた料亭「梅林」を再興した。従つて甚七は家宅こそ吉之助から賃借したれ、営業権そのものは本来被告家に専属し、未だ嘗て原告家に移つたことがない。そして被告は大正十四年二月六日甚七の長女梅原はつと壻養子縁組婚姻し、甚七を扶けて家業に励み、昭和六年十月三日甚七が死亡し、被告がその家督を相続するとともに、本件賃借権及び営業権を承継取得するや旗亭「梅林」の正統後継者として愈々その本来の面目を発揮し、賃貸人の承諾を得て本件家宅に屡々大修理を施して来た。

三、本件裁判上の和解の趣旨

従つて本件裁判上の和解もこれらの事情を多分に参酌して成立したもので「本件家屋を昭和二十八年十二月三十一日まで賃貸する」という条項は一般私法上の契約と全然その趣向を一にし、固より明渡期限を定めたものではない。従つて原告は正当の事由がなければ本件賃貸借の更新を拒絶する権利を有せず、右期間経過とともに本件契約は期間の定のない賃貸借となるに過ぎない。(民法第六百十九条第一項但書。この規定が借家法にも適用があることは夙に最高法衛の説示する所である。なお、右和解において、当事者は右期間内に被告が三郎から本件家屋を買い取り所有権を取得し、よつて以て紛争の禍を根絶することを期待していた。)

四、更新拒絶の不当性

ところで原告は本件賃貸借の更新を拒絶するについてなんら正当の事由を有しない。即ち

(イ)被告側の事情

被告は叙上のように父祖相承け本件家宅で多年戦前は料亭、戦後は旅館を経営し、相当信用があり、しかも方今住宅店舗は極度に払底し本件家宅に代わる場屋を物色入手することは至難の業であり、被告が今本件家屋から追い払われるときは被告夫婦及び三男八女の大家族が忽ち路頭に迷うことが極めて明白である。

原告にして素直に「梅林」の歴史を回顧すれば喜んで被告に本件宅地家屋を相当代価で買い取らせる筈であり、又仮りに原告がこれを欲しないとしても、少くとも本件賃料を適当に増額して幾久しく被告に本件家宅を貸与する筈である。それでもなお不満なら被告は原告に原告一家の住居に適する家宅を買求めて提供する用意もある。よつて本件家屋の明渡だけは何卒御免を蒙りたい。

(ロ)原告側の事情

原告は昭和二十七年三月三十一日国に前掲榴岡二十二番の家屋を代金百万円で売渡し、即時国から該代金を受取り今なお、そのままこれを保有し、又原告の同居の四男梅原修治は目下木工業を営む株式会社山崎分店の取締役兼仙台市役所吏員として相当多額の月俸を給与されつつあり、従つて原告一家の生活が窮乏を告げるような事情は夢々考えられない。

従つて原告は本件家屋を自ら使用する等本件賃借の更新を拒絶するに足る正当の事由を全然有しない。よつてそのこれあることを前提とする本件更新拒絶の意思表示は法律上当然無効である。

仮りに右意思表示が有効であるとしても、被告は賃貸人三郎在世中は同人の、又その死亡後は原告の各承諾を得て次のように本件家宅の必要修繕費を支出した。

1  昭和二十年七月 浴場、洗面場の改造 金十万円

2  同二十四年五月二十三日頃 板塀等の修繕 金二万二千四百円

3  同二十五年三月九日頃 浴室改修 金八万四百十円

4  同年四月二十日頃 倉庫改造 金九万千八百円

5  同年七月二十八日頃 板塀及び台所改修 金五万二千円

6  同二十六年十月 下水工事 金四万円

7  同二十七年二月十九日頃 下水土管伏設、廊下硝子戸新設等 金四万六千四百六十円

8  同年七月 板塀新設 金七万円

9  同年十月二十五日頃 屋根修繕 金二千百五十円

10  同二十八年五月十六日頃 各所修繕 金二千四百円

11  昭和二十年から同二十八年まで 屋根葺替 金三十万円

12  右期間 電燈設備 金十三万六千円

13  同 水道設備 金五万円

14  同 硝子戸百十八枚 金二万千七百円

15  同 畳 三十八枚 金二万円

16  同二十九年一月二十八日頃 便所新築 金十二万円

17  同年十一月十三日頃 縁側硝子戸新設 金一万八千七百円

18  同年十二月一日頃 各所破損硝子入替 金三千円

19  同三十年一月五日頃 床修繕 金千四百円

20  同年二月十日頃 間仕切 金二千五百六十円

そして以上合計金百十九万九百八十円の経費は全部原告の負担支弁すべき債務で、その償還請求権は支出と同時に弁済期が到来する。よつて被告は民法第二百九十五条により右債権の弁済を受けるまで本件家屋を留置すると述べた。〈立証省略〉

理由

一、賃貸借の由来

原被告の身分、相続関係及び本件家宅の所有権占有権の変動が原告主張のとおりであることは当事者間に争がなく、成立に争がない甲第一号証、第二号証の一ないし四、第三、四号証、第六号証、第七号証の一ないし十二、第八号証の一ないし八、第九、十号証、第十一号証の一、二、第十二号証、第十六号証の一ないし七、乙第七、八号証、証人瀬川嘉次平(第一、二回)小畑慎一、二瓶まつの、原梅順治の各供述に証人梅原修治の第一、二回供述、被告本人尋問の結果の各一部を参稽綜合すれば、原告家は世々別紙図面表示の建物を所有、これを住宅兼店舗として、料亭「梅林」を経営し、原告は明治二十一年八月九日、三代梅原林蔵の養女として入籍、明治三十五年四月二十一日林蔵の死亡によりその跡目を相続するとともに、本件家宅の所有権及び営業権を承継取得し、明治三十七年二月二十九日縁故者梅原吉之助を壻養子に迎え、同人に家督を譲るとともに、右営業権の二分の一及び本件家屋の所有権を移転し、同人と共同して同一営業を継続して来たこと、然るに原告夫婦は、この営業が子女の教育にあまり良い影響を齎らさないと考え、明治四十年九月十一日、縁故者梅原林七に本件営業権及び家宅を「原告家の要求次第何時でも返還明け渡すこと、賃料月金二十円(但し経済状勢に応じ自ら増減)毎月末日払」と定めて貸与引き渡し、自らはその近隣に存在する原告主張の家屋に転居して、子女の教育に従事して来たこと、そして甚七は料亭「梅林」の頽勢挽回に努力して来たが、昭和六年十月三日死亡し、被告(大正十四年二月六日甚七の長女はつと壻養子縁組婚姻)がその家督を相続し、甚七の地位を承継し、右営業に従事し、昭和十年九月五日原告の夫吉之助が死亡し、その三男梅原三郎がその家督を相続し、その地位を継ぐや、被告と原告及び三郎との間柄に漸く、昔日の如くならず、昭和十八年時局の影響を受け、企業整備問題擡頭するや、被告は三郎及び原告に無断、料理店業を廃し、多額の転業資金を壟断しようと策動し、あるいは又、本件家宅の一部を三郎及び原告に無断修理して旅館に転業する等貸主を無視する振舞が多かつたため、原告及び三郎はこれを痛く遺憾とし竟に、昭和十九年一月十五日被告に対し「本件賃貸借を解除するから本件家宅を明け渡されたい」と申し入れ、被告はこれを拒否し、ここに両者の戦端が開始されたことを認めるに足る。

原告は、原被告間の本件貸借は無名契約の一種に属し法律にいわゆる賃貸借ではないと主張するけれども、原告の全立証によつてもこれを肯認するに足らず、却つて本件貸借の中核はどこまでも物の使用収益の対価として金銭を支払う約束であり、そのこれを取り結ぶに至つた経緯ないし契約の外廓は両家の由緒沿革身分等を以て紛飾されているに過ぎないことは上来説示の事実により極めて明白であるから原告の主張は採用に値しない。

二、被告の抗弁

被告も亦旗亭「梅林」は事実上被告甚七の創業に係り、被告は甚七の営業権を家督相続により承継取得した旨抗争し、甚七が原告夫婦から右営業権を賃借する当時料亭「梅林」の業績必しも順調でなかつたことは被告本人の供述によりこれを認められないわけではないけれども、被告等の提出援用に係る全証拠を以てしても、被告の先代甚七が既に廃止されていた旗亭「梅林」を創始再興した事実を認めるに足りないから、右事実を前提とする被告の抗弁は採る由もない。

三、裁判上の和解と再新拒絶の正当性

次に原告主張の訴の提起及び「原告及び三郎が被告に対し、本件家屋を昭和二十八年十二月三十一日まで賃貸する旨」の裁判上の和解が成立したことは当事者間に争がない。

よつてその効力について一言するに、裁判上の和解が既判力を有すると否とを問わず、叙上の文言そのままではなお執行力を缺如しているものと解する他はない。ただ裁判上の和解は一面私法上の行為であるから前記文言についても亦借家法の適用があり、従つて原告は正当の事由を具有する限り、同法第二条の方法により賃貸借の更新を拒絶することができるものといわなければならないところ、裁判上の和解は他面亦原被両告及び裁判所一如一体の訴訟行為でもあるから、単純な私法上の行為と異り、それ自体公信力を有ち、従つて本件のように裁判上の和解において賃貸借期間を定めた場合においては重大且つ明白な事情がない限り貸主たる原告が本件賃貸借の更新を拒絶するに足る正当の事由を有するものと推認するを相当とする。このことは裁判上の和解が確定判決同様執行力、形成力又ある意味で既判力類似の効力を有することからも容易に理解し得るところでなければならない。従つて本件において以上のような裁判上の和解が成立している以上原告は他に特別の事情がない限り、この和解の成立、存在の一事により本件賃貸借の更新を拒絶するに足る正当の事由を具有するものといわざるを得ない。(所論判例(イ)が「『何日まで賃貸する』とあるだけでは執行力がないが当事者の合意の内容が『何日限り明け渡す』というにある以上別訴を以て明渡の請求をすることができる」といつているのは措辞やや蕪雑、意味前後相矛盾する嫌がないでもないけれども、これを「既に貸借期間を定めた裁判上の和解が成立している以上賃貸借の更新を拒絶するにつき正当の事由がある」という風に善解し得ないわけでもない。又所論判例(ロ)の裁判上の和解条項は要するに「何日限り解約するから明け渡せ」というにあり、合意解約の効力発生を将来のある時期に繋らせ、且つ明渡の趣旨を明示しているから固より条項自体に執行力があり、従つてこれを本件に引用するは適切ではない。)

四、和解上の地位の承継

そして本件和解成立後昭和二十六年一月二日三郎が死亡したことは被告の争わないところであるから、三郎の母原告は民法第八百八十九条により右死亡と同時にその遺産を相続するとともに本件家屋の所有権及び和解契約上の地位を承継取得したものといわなければならない。

五、更新拒絶とその効力

それ然り而して原告が昭和二十八年六月二十二日被告に対し本件賃貸借更新拒絶の意思表示をしたことは、被告の争わないところであり被告が右拒絶を争うに足る重大、且つ明白な事情の存在することにつきなんら主張及び立証がない本件においては右意思表示は竟に有効で、本件賃貸借は昭和二十八年十二月三十一日限り期間の終了により将来に向つて当然消滅に帰したものといわざるを得ない。

六、更新拒絶の正当性に関する予備的判断

なお、仮りに裁判上の和解において賃貸借の確定期間を定めても、契約更新拒絶を正当化するわけではないという見解が正しいとしても原告は次の事由により右更新を拒絶するについて正当の事由を具有する。

(一)  原告側の事情

(イ)本件裁判上の和解が上来縷説のような事情で成立したのみならず、(ロ)成立に争がない甲二号証の一ないし四、第三、四号証、第五号証の一、二、三、第六号証、第七号証の一ないし十二、第八号証の一ないし八、第九、十号証、第十一号証の一、二、第十二号証、第十六号証の一ないし七、第二十一号証の二、証人梅原修治の第一、二回供述、同供述を綜合するにより真正に成立したと認める同第十三号証、第十四号証の一ないし六、第十八、十九、二十号証、登記所作成部分の成立は当事者間に争がなく、その余の部分も同供述を綜合するにより真正に成立したと認める同第十五証、証人岡得太郎の供述、同供述により真正に成立したと認める同第十七号証、郵便官署の作成部分は当事者間に争がなく、その他の部分も証人梅原修治の第一、二回供述を綜合するより真正に成立したと認める同第二十一号証の一を綜合すれば、原告は齢既に古稀を遥かに越え、固より生活能力を有せず一家の柱石たるべき同居の四男梅原修治(大正十一年九月十八日生)も亦多年肺結核に悩まされ、一家の収入は殆んどないため原告は已むを得ずその所有の前掲二十二番二十三番連続宅地及びこれに存在する家屋を既に昭和二十七年三月三十一日国に代金百万円で売却明け渡し該代金を負債の一部弁済に充当したが、現在なお金百万円以上の一般借財の弁済を延滞する他、相続税、固定資産税、再評価税等の公租公課数十万円を滞納し、住宅の如きも現在肩書地所在ささやかな建物を他人から借り受け、修治及びその妻女と佗住居をしている有様で、生計には勿論、修治の薬餌にすら事缺く状態であり、従つて被告から本件家宅の返還を受け、自らこれを使用して旅館業を営み、よつて以て幾何もない余生を修治の生業の基礎固めに捧げる念願であることを各認めるに足る。

被告は「修治は目下木工業を営む株式会社山崎分店の取締役兼仙台市役所吏員として相当多額の収入がある旨」抗争し、修治が被告主張の取締役兼吏員であることは、原告の認めるところであるけれども、前記甲第五号証の一、二、三、第六号証、証人山崎亀三郎、梅原修治(第一、二回)の各供述を綜合すれば、右会社は修治の妻女の父山崎亀三郎を中心とする同族会社で、修治は名は重役とはいえ、その実全然その地位になく、且つ同会社は目下破産に瀕しつつあり、役職社員に給料を支払う余裕など殆んどないこと、及び修治の患う肺結核は既に膏盲に入り、同人は昭和二十六年六月から今日に至るまで仙台市役所の療養命令により折角自宅で療養しつつあり、従つてその給料額の如きも次第に減少し、目下殆んど皆無に均しい有様であることを必ずしも認めるに難くはないから、修治が叙上重役又は吏員である一事は固より採つて以て、原告家の生計が急を告げていないことの拠り所とするに足りない。

(二)  被告側の事情

(イ)被告が、昭和二十七年八月一日から昭和二十八年十二月三十一日までの本件賃料を支払わないことは当事者間に争がない。又、(ロ)被告が本件宅地附近に存在する同市榴岡二十一番に原告主張の家屋百三十二坪等を新築所有し、これを営業所とする同族株式会社「クラブナシヨナル」を設立し、自らその代表者取締役と為り、キヤバレーを経営していることは当事者間に争がなく、前記六(一)(ロ)に挙示した各証拠を綜合すれば、同会社は既に昭和二十六年六月頃から右事業を創め、目下多数のダンサーを雇い入れ、駐留軍対手のキヤバレーを強化し、近時仙台市駐留米国兵士が増員され、その顧客が増加したため、その収益真に侮るべからざるものがあり、しかもこの種キヤバレー営業の将来性は国際情勢と相俟ち真に刮目に値するものがあり、従つて今原告に本件家宅を明渡してもその住居ないし生活の安定を脅かされる憂が殆んどないことを推認するに足る。証人瀬川嘉次平(第一、二回)加藤褜吉、二瓶まつの、梅原うめ子、梅原順治、被告本人の各供述中右認定に反する部分は到底そのままでは措信し難く、その他被告の挙示援用に係る全証拠を以てしても右認定を左右するに足りない。ただ因襲の久しき被告が今多数の家族を抱えて本件家宅を立ち去ることはあるいは今昔の感に堪えないものがあることは必ずしも本件口頭弁論の全趣旨により認められないわけではないけれども、被告においてその今日あるは既に業に十一年前本件裁判上の和解が成立した当時から克くこれを覚悟し、爾来今日までその準備をおさおさ怠らなかつた筈であり、従つて今若しまだ右用意を完了していないとすれば、それは固より自業自得というの他なく、遣る瀬ない郷愁の有無の如きは固より以て前記更新拒絶の申入を拒否する正当の事由とするに足りない。

七、賃貸借の終了

そして以上のように既に賃貸借期間を定めた裁判上の和解が成立しその後原告家が生活難、病苦等により愈々本件家宅の明渡を求める情真に切なるものがあり、反之被告は長日月に弥り碌々本件賃料を支払わず、原告の不幸凋落に一顧だも与えず只管自家の漁利、幸福追求のみに没頭し、折角わが世の春をたたえつつあり、本件家宅を明け渡しても必ずしも生活ないし住居の安定に事缺かない場合の如きにおいては、原告は本件賃貸借の更新を拒絶するに足る正当の事由があるものというべく、そして原告が借家法第二条の方法により、昭和二十八年六月二十二日被告に対し、本件賃貸借更新拒絶の意思を表示したことは前段認定のとおりであるから、本件賃貸借は、昭和二十八年十二月三十一日限り期間の満了により将来に向つて当然消滅に帰したものといわざるを得ない。

されば、他に格段の事情がない限り被告は即時原告に対し、本件家屋を明け渡すべき責務を負担することはいうまでもない。

八、賃料及び損害金

次に前掲裁判上の和解において本件賃料の額及び支払方法が原告主張のように定められたことは当事者間に争がなく、被告が昭和二十七年八月一日から昭和二十八年十二月三十一日までの本件賃料を支払わないことは前段認定のとおりであり、そして鑑定人佐々木蓮蔵の鑑定の結果によれば、昭和二十七年八月一日から同年十二月三十一日までの本件相当賃料が月金二万四千円、昭和二十八年一月一日から同年十二月三十一日までの本件相当賃料が月金三万円であることを認めるに足り、右認定を動揺させるに足る証左は一も存しない。又同結果によれば、昭和二十九年一月一日以降今日までの右相当賃料は月金三万六千円であることをも窺うに十分であり、これ又、この判断を覆すに足る証拠が更に存しないから、被告は昭和二十九年一月一日以降本件家屋の明渡に至るまで原告に対し右同額の損害を加え、又加えつつあるものと推認しなければならない。

さすれば被告は原告に対し他に特別の事情がない限り叙上昭和二十七年八月一日から同年十二月三十一日まで月金二万四千円、昭和二十八年一月一日から同年十二月三十一日まで月金三万円の各割合による賃料合計金四十八万円及び昭和二十九年一月一日以降本件家屋の明渡に至るまで月金三万六千円の割合による損害金(この損害は賃貸借終了による原状回復義務の履行遅滞により発生し、又するものと解するを相当とする)を支払うべき義務があることは当然である。

九、留置権の有無

(一)  修繕費

被告が昭和二十四年五月二十三日頃から昭和三十年二月十日頃までの間に、本件家宅の必要修補費としてその主張の2ないし5、7、9、10、17ないし20合計金四十四万三千二百八十円を出捐したこと、及び右修補については少くとも原告の事後承諾を得たことは、証人秋本勘造の供述及び検証、鑑定、被告本人尋問の各結果を綜合するによりこれを認めるに足り、右認定を覆すことができる証拠は更に見当らない。

(二)  虚罔の弁

被告は右金員の他なお昭和二十年七月から昭和二十九年一月二十八日頃までの間、前後九回に亘り浴場、洗面場の改造、その他の本件家屋の必要修繕費として、合計金七十四万七千七百円を支出したと主張するけれども、これを確認するに足る証左は全然存しないからこの言分は到底そのまま採用することができない。(のみならず「被告が昭和二十七年七月浴場及び洗面場の改造に金十万円を醵出した」という所論主張1について考えて観ても、検証鑑定の各結果によれば右設備は比較的粗造簡素であることが明瞭であるから貨幣価値の最も高かつたこと当裁判所に顕著である昭和二十年七月、右修繕に金十万円を支出したというが如きはそれ自体常識では到底理解できないところのものであり、借主たる被告のかような軽卒な言動こそが軈て貸主たる原告の信頼を裏切り、本件家屋の明渡請求の正当性に拍車を掛け、被告を自滅に導く以外の何物でもないことを知らなければならない。)

(三)  原告の負担額

そして、前記甲第三号証(裁判上の和解調書)によれば、前掲裁判上の和解において前顕修繕費の如きは原、被告において各その二分の一を負担すべき旨取り決められていることが明らかであり、この判断を怪しませる反証が更に存しないから、原告は結局被告に対し右必要費の二分の一金二十二万千六百四十円を償還支払う義務を負うに過ぎないものといわざるを得ない。(この債務は期限の定めがない債務で被告の請求により弁済期が到来するものと解しなければならない。けだし、本件のように事後承諾による修繕行為の場合は、修繕行為の有無及びこの費用額如何は結局被告の通知等によらなければ原告においてこれを確知する方法が殆んどないからである。)

(四)  相殺

そして原告は本訴において、右必要修繕費償還債務額金二十二万千六百四十円と、これと同額の本件延滞賃料債権額金二十二万千六百四十円((イ)昭和二十七年八月一日から同年十二月三十一日まで月金二万四千円の割合による延滞賃料金十二万円、(ロ)昭和二十八年一月一日から同年四月十一日までの月金三万円の割合による延滞賃料金十万千円及び右割合による同年四月十二日分の賃料金千円のうち金六百四十円)とを相殺したから、これにより原告の右償還債務は消滅に帰したものといわなければならない。

さすれば被告が原告に対し、なおその主張の修繕料償還請求権が存在することを前提とする被告の留置権の抗弁は既にその前提において失当であるから採用に値しない。

(五)  修繕費償還債権と留置権

なお一般に家屋の占有者が家屋の所有者の負担すべき家屋の必要修繕費を支出した場合においても、その修繕が従前の家屋の重要部分を根本的に変革し、そのため増加した現存利益が修繕の家屋の現在一般の取引価格を遥かに上廻るに至つた等の事情が存しない限り、修繕費の未償還を理由に家屋そのものを留置することができないものといわなければならない。(民法第二百四十四条の制限解釈第二百四十二条)けだし、今若しそうでないと解するときは、家屋の占有者は硝子一枚を入れ替え、釘一本を打ち付けただけでその費用の未償還を口実に克く大層高楼を留置使用することができ、建物賃貸取引を阻害し、信義則に背戻し、延いて留置権制度の根本義にも背戻するからである。

そして本件において被告主張の修繕が従前の家屋の重要部分を根本的に変革し、そのため増加して現存利益が修繕前の家屋の現存の一般取引価格を遥かに上廻る事実については被告の主張だもしないところであるから被告の抗弁は採る由もない。

十、結び

果して然らば被告は原告に対し、即時(イ)本件家屋を明け渡し、(ロ)叙上延滞賃料残額金二十五万八千三百六十円(月金三万円の割合による(1) 昭和二十八年四月十二日分金千円のうち金三百六十円、(2) 同月十三日から同月三十日まで金一万八千円、(3) 昭和二十八年五月一日から同年十二月三十一日まで計金二十四万円)及び(ハ)本件賃貸借終了に基く原状回復義務の履行遅滞による損害賠償として昭和二十九年一月一日から右明渡に至るまで月金三万六千円の割合による損害金を支払う義務があるが、その余の責に任じないものといわざるを得ない。

よつて原告の本訴請求を以上の限度においてその理由があり、その余の部分は失当と認め、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十二条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条に各則り主文のように判決する。

(裁判官 中川毅)

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